2023年のスタートラインから

Text by 伊藤 雅人



おどおどと幕が上がった感じのする2023年、年始から新聞紙上で矢鱈と目についた言葉
が「分断」でした。人と人との分断、国と国との分断、その他様々な利害集団の分断が
深刻な状況にあり、にもかかわらずその解決策がなかなか見出せない焦燥感がそこここに
噴出しているようです。

さてこの分断とは別にここから先暫くの間、気にしておくべき言葉に感じられるのが
「最適化」です。一例でしかありませんがNetflixで配信されている『天才の頭の中』で
ビル・ゲイツが夫人と運営している財団の目指すところを問われ「最適化(optimization)」
と答えています。ある種の可能性と漠然とした希望の光と感じさせられるこの言葉、
データ分析・解析を通じて有益な情報を導き出し世の中の最適化に寄与することを目的と
しているデータ・サイエンスの世界に生きる人々からは「何を今さら」と呆れられそうで
すが、今後はその門外の人々にも想起されることが増える言葉なのではないかと感じています。

唐突ですが、最適化の進んでいる国や都市はどのあたりなのでしょうか。素人考えであれこれと思いを巡らせた挙句に、何となく北欧の国々や都市を思い浮かべたのですが、世界の人々からは案外と日本、東京の名前が挙がるのかもしれないとの考えが頭をもたげます。
時刻通りに運行される鉄道、親切心に満ち且つ整然と行動する人々、清潔な生活環境
などなど、諸外国から高く評価されることの多いこれらの点を思い起こしてみると
この想像はあながち間違いではない様な気がしてきます。

ところが一方で、半ば強制的に発行申請に追い込まれた〇〇ナンバーカードの受け取りに
2時間余りを費やすような体験をすると、この国の最適化(もどき?)は極めて表層的な部分でしか実現されていないことに今更ながら気付かされます。
例えてみれば見せかけのアウター・マッスルばかり鍛えて真に重要なインナー・マッスルは極めて貧弱な、そんな残念人間のようなものに思われてくるのです。頭脳明晰な人は殊の外、不合理なことや非効率なことを受け入れ難いと感じる傾向が強いと聞きます。であれば国民のIQ調査で常に上位にあるこの国で真の最適化が遅々として進まないのはどうしたことなのでしょうか。

と、ここまで考えておきながら果たして「最適」な状態とは合理性や効率性を突き詰めた先に立ち現れるものなのかとの疑問が浮かんできます。さらに、ある人にとっての最適がそれ以外の人にとっての最適とは限らないと言う、「正義とは何か」と同種の問題を孕んでいることに気付かされます。プーチン大統領にとってのウクライナ侵攻はロシアにとっての最適化実現の一端だった可能性が極めて高いのではないでしょうか。

「データから導き出された結果」を盲目的に信じてしまう、それだけで問題としていたことが分かった気になってしまう。或いはデータを「ファクト」と呼び変えて仕事をしている人々が存在している。そんな事実に触れると、人間はもっと本能とか記憶とか身体性から浮かび上がってくる思考、アブダクションと称されるプロセスを手放してはならないとの思いを強くします。
合理性や効率性を突き詰める過程でこぼれ落ちていくものに注意深くあらねばならないとも思いますし、だからこそ最適化の名のもとに推し進められるかもしれない様々な施策を安易に受け入れることには慎重になった方が良いとも考えています。そういった姿勢を基本としながらも受け入れを拒絶する場合にはその理由に妥当性はあるか、利己的発想が蔓延ってはいないか、それらを必要十分に己に問わなければならないとも思います。但し既得権益の亡者のごとく既成の仕組みにしがみついて最適化の障壁になるようなことだけは心して避けなければなりません。

おそらく真の「最適化」は相当に難易度の高い課題です。ですが、難しいことは一朝一夕には解決に至らないですし、容易く導き出された結果はあっという間に廃れてしまう、そのことに十分に自覚的であることが我々に求められていることなのではないでしょうか。

無駄なほどに最適化を弄ってきましたが、実は我々の属する映像制作業界も最適化とは対極にある「カオス」の状態から抜け出せずにいます。更に広告映像制作の場にあってはプロダクション・プロデューサーの存在意義がかなり薄らいでしまっています。己のすべきことを自ら手放してしまった結果ともいえるこれらの事態としっかり向き合い、そのうえで最適化に踏み出す、それが重要課題だとなるべく多くの業界人が意識し行動する、それらが実現できれば状況は好転するはずだと信じているのですが皆さんはいかがでしょうか。

ところで、「分断」の解決策は「最適化」にあるとの考えは安易すぎるでしょうか。



2023年1月10日 代表取締役 伊藤雅人