Spoon.対談
Spoon.対談
志のある人たちと見る
想像もつかないような風景

高校生映画コンクールでグランプリ、大学生で写真新世紀の優秀賞を受賞し、広告映像やMVの監督としても、写真家としても第一線を走り続ける奧山由之さん。ポカリスエット『でも心が揺れた』篇をともにつくったSpoon佐野大プロデューサーと、今につながる原点の話や、大人数で制作をする醍醐味についてお話を伺いました。気のおけないふたりの仲だから、というやりとりも――。

関わる人が多いほど遠くに行ける

映像制作には7~80人、多ければ200人という数のスタッフが関わると聞きました。たくさんの人と制作する魅力ってなんですか?

奥山

映像をつくる各部署の方々と意見を交わしていると、思ってもみなかったような角度からの言葉があります。それを受けて、僕の中でも考えを熟成させて、また伝えることができる。 関わる人数が多いだけに、コミュニケーションの量が必然的に増える。そのことに大変さも感じながら、同時に最初に自分が思っていたものと違うものに仕上がっているよさもある。イメージしていたものと違っていたことを、ポジティブに捉えられることの方が多いんです。みんなとなら遠くに行ける感じがする。遠くというのは必ずしもレベルが高いということではなくて、自分が出発点で思っていたこととはだいぶ違う場所に来ているという感じ。想像もしていなかった景色を一緒に観られることが醍醐味です。

佐野

奧山さんは、すごく会話を大事にされますよね。

奥山

撮り始めるまでに積み上げたコミュニケーションによって、現場に入ってからどこまで跳躍できるかが変わってきますよね? なんとなくで現場に入ると、そこからいくらがんばってもすごい景色が見れないというか。

佐野

一緒にやっていくスタッフや関係者にお話しするときの丁寧さが、すごく印象的です。毎回1対1で現地に行ってお話されているじゃないですか。ほとんどの方があそこまではしないんですよ。会話の密度の濃さを本当に大事にしているんだと、伝わってきます。

奥山

ああ、だから佐野さん僕が話しているといつも途中で退席するんですね!(笑)毎回参加してくれるから、同じ話を何回も聞くことになる。

(笑)

佐野

まあね。もう聞いている話はね。それだけ会話を大事にされているんですよ。

奥山

そこまで丁寧に話している自覚はありませんでした。でも、起点である人が中途半端な気持ちでつくると、それが伝染していってしまうという経験が過去に何度かあるんです。10年以上活動していますけど、初期のころにはいくつもの案件を同時進行してしまったりして。どうしても時間的、体力的に、気持ちを注げないものもあったんですよね。たとえそれがビジネスとしても成り立っていても、納得いかない感覚があって。もうそういうことはやめようと思うと、年々つくれる数が減っていくんですよね。 こういうものを本当につくりたいんだという強い気持ちをひとつずつ伝えて積み上げていったら、現場はもう最終確認。今までのコミュニケーションの結果が映像や写真になっているというだけなんだと思います。そこにみんなとのコミュニケーションが映りこんでいる。 でも、そういうところを佐野さんが受け止めてくださっているなんて。そういう方が周りにいるのは、すごい幸せだと思います。

写真と映像は真逆のメディア

奥山

写真においても誰かしらとのディスカッションがあるので、完全にひとりの個人制作というわけではないんです。人数は少なくても、自分ひとりの考えだけでは完成できません。

佐野

興味あるなあ、写真の方も。この前、写真家で映像監督をやる人が全然いないって話をされていたじゃないですか。頭の使い方が全然違うからっておっしゃっていた。それはなるほどなあと、おもしろく拝聴しました。

奥山

写真は瞬間を切り取るけれど、見るときはその前後を想像する感覚がありませんか?被写体と撮影者はどういう関係性なんだろうとか、どうしてこの表情なんだろうとか。写真に写っていないことをぼんやり想像してしまうのが、写真という瞬間のメディアです。 映像は逆に、たとえば映画を2時間観たとしても、2時間全部を覚えていることはなくて、むしろ「あの表情がよかった」「あのシーンがいい」と瞬間を持ち帰るようなところがある。 だから写真はとても映像的なメディアで、映像は写真的なメディアだと感じているんです。両者は真逆のメディアだなと。 カメラを持って被写体を撮っているときは、「あなたと僕」のように対面している意識が強いんです。でも映像では、見ているカメラの奥に人がいる。ドラマのように物語が描かれるものに関してはとくに、客観視点というか。そこに僕が存在していないという前提のメディアになるんです。アプローチがまるで違うというところもある。

佐野

それを両方しているんだからすごいですよね。切り替えが難しそうです。

奥山

すごいなと思うのは、写真を撮っていて、映像の撮影もされる方。結構いらっしゃるじゃないですか。すごく不思議で……。僕の場合映像は撮影ではなくて監督なので、被写体と向かい合っているコミュニケーションという点では共通しているんです。でも写真も映像も両方カメラを持って撮影となると、「向き合う」のと「客観」と真逆で。そこの切り替えが僕にはできない。

佐野

どっちをやる人の方が多いですかね? 写真を撮りながら、ムービーの撮影もするひとはけっこういますよ。

奥山

両者がどうしてもできなくて。昔、島田大介監督に頼まれて映像の撮影を1度だけしてみたんですけど、カメラの位置はどうでもよくなっちゃうんですよね。それより、何を役者さんにしてもらうか、どう言葉を投げかけるか、という方に意識が向いてしまって。島田さんは優しいから傍観していてくれたんですけど、役者さんは「なんでこのカメラの人いろいろ演出してくるんだろ」と思ったでしょうね。

佐野

混乱したでしょ?

奥山

そのとき自分はやはり、映像を撮影することはできないんだなと思いました。

今につながる原点の3名

広告の世界に足を踏み入れた経緯はなんですか

奥山

僕、広告の世界に踏み入れられているのか? 広告のことを全然わかっていないという感覚があるもので……。世界にいますと言っていいのかな、どう思います?

佐野

いや、わかりますよ。でもまあ、広告案件を制作しているわけですから。胸をはっていいですよ。

奥山

そうですね、なんかごめんなさい。自問自答が起きて、今。経緯ですよね。 高校生の時に自主映画をつくっていたんです。一眼レフで撮影場所を撮って、模写してコンテを描いていました。このとき、初めてカメラを買ったんです。映画もつくり続けたいと思っていたけど、写真には瞬間表現ゆえの奥行きがあると思った。見る人による、捉え方の余白が広い。あいまいさがゆえの、表現の幅広さに、当時の自分としては手馴染みがよくて。言語化できていないものを、表現できる媒体だと感じたんです。 それで写真を撮るようになって、コンテスト「写真新世紀」に応募したら賞をいただけました。そのときの作品『Girl』を、3人の方に見せに行ったんですよね。写真を仕事にできるとは思っていなかったんですけど、いったん完成したこの作品を、この人が見たらどう思うんだろうと感想を聞きたくて。

佐野

3人て、誰ですか?

奥山

当時の創作において、すごく影響を受けた人なんです。くるりの岸田さんと、『TRANSIT』の加藤直徳(元)編集長と、ファッションブランド「ANREALAGE」の森永邦彦さん。ここから、それぞれの方々とお仕事するようになるんですよ。本当に恵まれているなと思います。 岸田さんは、作品を見てから「京都おいで」と言ってくれて、2カ月くらいツアーについて回りました。移動も寝泊まりも一緒で、ずっとツアーを撮って。ANREALAGEもバックヤードに入らせてもらって、撮らせていただいて。自分の憧れていた創作をされている方々の近くに、急にカメラを持って近づかせていただいてしまった。 今幸せに創作をさせていただいているのは、佐野さんも含めて、魅力的だなと思う方々に囲まれているから。そうできたのは、木にたとえると種を植えるところで嘘をつかずに大好きな方々に出会えたから。もし種を植える段階で自分に嘘をついていたら、そこからどれだけ未来への幹を太く伸ばしても、枝葉は自分の思っているように育ってくれません。つまり、最初の最初の段階で、本当に自分が好きな方々にちゃんと見せて、その方々と一緒に強い想いでものを作ってこられた。それらを見て仕事を頼んでくださる方は、やっぱりどこかで通じ合うものがあると思うんです。

プロデューサーの醍醐味

奥山

佐野さん、最初僕のマネージャーさんに「具体的な話はまだないんですけど、どうすればご一緒できるんですか」と聞いてくださったんですってね? 本当かどうかまだ分からないんですけど(笑)。

佐野

本当ですよ! だからこうしてお話しできているのもうれしくて。あれはまだ20代で、もうすぐプロデューサーになれそうだなあという頃のPMでした。年が2つしか違わない、同世代で、ちょっと若い人がこれだけいい作品をつくっていたから。事務所が隣なんですよね。社長さんに、「どうやったら奧山さんと仕事できますか?」と連絡していたんです。そうしたらポカリスエットでご一緒できることになって。ほかの作品も一緒にできて。この人と仕事をしたいと思っていたことが実現できるって、ちゃんとあるんだなと思いますね。

奥山

僕もこうやってお話しできるのが嬉しいです。

佐野さんがこの世界に入るまでの経緯は?

佐野

僕は本当に普通ですよ。高校まで全国大会をめざしてサッカーをしていて、文系私大に進学して、飲み会を楽しむ普通の大学生になりました。子どもの頃から映像は好きでしたよ。映画、ドラマ、MV。それで大学で映像を作り始めたんです。遊び程度ですけど、映像編集ソフトのファイナルカットを覚えたので、ひとりで。それがすごく楽しかったので、映像プロダクションに入ってきました。

奥山

憧れの作り手とかいたんですか?

佐野

いろいろ見てましたけど、そういうのはとくにないです。

奥山

本当にいろいろな作品を見ていますよね。音楽も詳しいし。

佐野

雑食なんです。広く浅く。映像系の制作会社を受けていたときも、なにか目指すものがあったわけではなくて。自分がプロデューサーになりたいのか、ディレクターになりたいのかもわからなかった。ただ、ディレクターで受けたところは全部落ちて、プロデューサーで受けたところは全部うまくいったんですよ。Spoonに入社してPMになってからは、目の前の仕事をひたすら続けて、プロデューサーになったという感じです。

実際、プロデューサーになってみていかがですか?

佐野

本当に楽しいですね。僕は変な人が好きなんです。プロデューサーは監督と密にやり取りするんですけど、当然まあ感覚が、普通の人と違うところがなければできない仕事なので。その人の話や思いを聞いて具現化していくというのが本当に面白いです。さっき奧山さんがおっしゃった“遠くに行ける”という表現と近い。自分では絶対思い浮かばないことを、毎日聞けるんですよ。

お互いを信頼できる理由

では、ちょっとチャレンジングな質問なんですけど、お互いに好きなところを教えてください。

奥山

そ、それは恥ずかしいなあ。先に言った方が難しくなさそう。

佐野

たしかに恥ずかしい。僕はあとに言いたかったので、お先にどうぞ。

奥山

佐野さんの、ちゃんと誠実にものづくりに向きあっているところ。そこを信頼しています。つくることに対して切実さを感じるというか、つくることが本当に好きなんだなあと感じる。ちょっと……これなかなか恥ずかしいな。 でも誠実に切実さをもってやるというのは、精神的にも体力的にも、つくることが好きじゃないとできないと思うんです。 あとは、つくる過程がどれだけ大変になっても、なんなら大変になればなるほど楽しんでくれるタイプな気がするんですよね。だから「本当はこうしたいけど話さないでおこう」と遠慮しないで済む。それが本当にありがたくて。 きっと、「つくるのなんて大変で当たり前」と思ってるだろうし、乗り越えるものが大きいほど「うわあ見たことない」という感情に出会えることをご存じなんだと思うんです。

佐野

僕が好きなのは、奧山さんの執着心が強いところですね。おもしろいものをつくろうとすれば、まず自分たちが「いい」と感じるものなんだし。見る人の琴線に触れるようなものをつくりたいというときに、ディレクターに執着心がなければできないんですよ。起点はディレクターだと思うので。そして奧山さんはそこが本当に強いので、プロデューサー冥利につきます。やりがいがある。 あとはもう、本当に、人としておもしろい人なんですよ。話がめっちゃおもしろい、興味深い。

たとえばどんな話を……

奥山

信頼をおいている人に話せる、心のうちですね。

佐野

自分にもちょっとだけそういうところがあるからおもしろいんですけど、やっぱり本当になにかをつくりたいという思いが強い人というのは、ある種の複雑さも抱えていますよね。そこをおもしろおかしく話してくれるから……あんまり言うとセルフプロデュース的によくありませんねこれ(笑)。

それを佐野プロデューサーに話せるというのがすごいですね。すてきなお話をありがとうございました。

奥山由之

映像監督 / 写真家 1991年生まれ。

第34回写真新世紀優秀賞、第47回講談社出版文化賞写真賞を受賞。 映像の監督としても活躍し広告やMVなど幅広く手がける。

佐野 大

Spoonプロデューサー 1988年生まれ。

大塚製薬 ポカリスエットや相鉄ホールディングス 相鉄東急直通記念ムービーなど、TVCMを中心に、配信ドラマやMVも制作。 2022年ACCフィルムクラフト部門プロデューサー賞受賞

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